【第2回】子育てと研究の両立で崩れかけたメンタル|東大理三卒の医師が「医局」を飛び出した理由と過去の自分に伝えたいこと
理三に受かるまでの道のりは、レールに乗る戦い方が得意な彼女にとって、ある意味で慣れた世界でした。ところが医師免許を取った先に待っていたのは、正解のない現場です。
第2回は、研修医時代のリアルから、眼科という選択、医局を辞める決断までを伺います。

ナズナさん
フリーランス医師/Kindle作家/翻訳家/マーダーミステリー作家
東京大学理科三類(医学部)を卒業後、医師として臨床の現場や研究に従事。2024年に医局を離れ、現在はフリーランス医師として働きながら、マーダーミステリー(マダミス)作家としても活動している。
2023年、初の著書「勇気を出して推しのKindle作家に会いに行ったら人生変わった」をkindle出版し、作家デビュー。2024年には初のマダミス作品「医者か死神か」を発表した。現役医師ならではの知見や視点を物語に取り入れ、ノベライズ版「四者の告白」やスピンオフ短編も執筆。文学フリマ東京への出展など、創作活動の幅を広げている。最新作はマダミス「死者は記憶で蘇る」(寺澤伸洋氏との合作)。
「みんな耐える」研修医時代
――実際に臨床の現場へ出てみて、どうでしたか?
やはり臨床の現場はかなり大変でした。
医学部時代の学生実習で現場の大変さは何となく知った気になっていましたが、学生と初期研修医では全然違います。
たとえ経験値ゼロの初期研修医でも、「医者は医者」。まだ1年目だから…なんて、患者さんには関係ありません。すさまじいプレッシャーと、できない自分の不甲斐なさに押しつぶされそうな毎日。
とはいえ、成長に必要なフェーズなのは分かっていたので、苦ではありませんでした。
失敗しても笑って許してくれる優しい患者さん、練習台になってくれる優しい先輩、責任を持って見守りと指導をしてくれる上級医、励まし合える同期。たくさんの人たちの支えもあり、少しずつ成長させてもらえました。
なんだかんだ人間関係
…なんて言うと「完璧な人間関係の優しい世界」のように聞こえますが、その実、一番きつかったのは人間関係でした。
患者さんと上級医との板挟み、看護師さんと上級医との板挟み、上級医と他科の先生との板挟み。
板挟みの何がつらいって、成長に必要な負荷では決してなく、完全なノイズだということです。
私がもっと年次が上の医者だったら、あるいは男だったら、絶対に言われないであろう言葉を平気で投げつけられるのが特に悔しかったです。
私がもっと強ければ、こんな理不尽な目には遭わないのに…!
当直明け、ふいに「世の中は理不尽でできている!」と本気で確信したことも一度や二度ではありません。寝不足と疲労でおかしくなっていましたね。
もし私がちいかわ族だったら、間違いなくデカツヨに変異していたと思います(元ネタ知らない方すみません)。

ひたすら理不尽を耐える
――その理不尽さはどう飲み込みましたか?
耐えるしかなかったです。
いくら努力して知識やスキルを身につけても「一番下っ端の初期研修医」であることに変わりありません。板挟みは不可避です。
今思えば、コミュニケーション能力や立ち居振る舞いなど、対処の仕様が多少はあったのかもしれません。ですが、当時は目の前の仕事で精一杯で、何も考えられませんでした。
同期の皆も同じような感じで、金曜になると集まってお酒を嗜みながら愚痴を吐き出し、傷の舐め合いをするのが恒例でした。
医者の世界の男女の違い
――現場に入ってみて、男女による違いは感じましたか?
上級医との関係では、性差というより個人差だなと感じます。同性には厳しく異性には優しい人というのは男女問わずいるものなんだな、とは思いましたが、ごく一部です。
患者さんとの関係でももちろん個人差が大きいですが、一般的に舐められにくいという点では男性の方が有利かもしれません。
年配の男性患者さんだと特に「男性=医者」「女性=医者以外(舐めた態度とっていい)」という思い込みをしている方が多く、カルチャーショックを受けましたね。極端な例かもしれませんが。
経験値が大事な職業なので、性別に関わらず若く見られる方が不利というのはあります。

眼科かリウマチ内科か
――ご著書では「某マイナー外科」とおっしゃってましたが、専門は何ですか?
眼科です。眼科は外科の中でもマイナー外科というくくりになります。
――数ある診療科の中で、眼科を選んだ理由は何ですか?
学生実習で眼科を回った時、豚の目を使った白内障手術シミュレーションを体験させてもらいました。
顕微鏡をのぞきながら手と足で操作をしていくと、水晶体(目の中のレンズ)が砕かれて小さくなっていき、最後にはトゥルンっと取れてきれいになる。この感覚が気持ちよかったのが、眼科に興味を持った最初のきっかけです。
ただ、「内科に行かないなら眼科かな」くらいの気持ちのまま卒業、初期研修に進みました。

内科に行くならリウマチ内科
初期研修1年目、いろいろな内科を回っていくうちに、「内科に行くならリウマチ内科」と心が決まりました。
リウマチ内科はリウマチや血管炎など全身疾患(体全体に影響が出る病気)を扱う内科。診断が難しい病気が多いですが、問診、身体診察、検査の結果を総合して診断を下す思考プロセスがたまらなく面白く感じたのです。
その後、初期研修2年目のはじめに眼科を回ると、今度は眼に特化して深く掘り下げ、病気によっては手術で一撃で治せる眼科に魅力を感じました。
- 眼科=眼に特化したスペシャリストな外科
- リウマチ内科=全身を診るジェネラリストな内科
という、対極な2択でギリギリまで迷うことに。

眼科に決めた理由
診療科に対する純粋な興味という点ではどちらも捨てがたく、決められませんでした。結局、打算的ではありますが、色々な条件を比較して眼科に決めました。
- 個人プレイ
- 外来メイン
- 生死に直結しない
- 医局の雰囲気
眼科は外来も手術も個人戦が基本。手術入院以外の入院はほとんどなく、外来がメイン。つまり、人間関係がシンプルで板挟みのストレスに悩まされる可能性が低い。
また、初期研修先が高齢者の多い病院だったこともあり、数えきれないほどのお看取りやシビアな病状説明の現場を経験してきました。そして分かったのが、自分は「死」が苦手ということ。眼科ほど「死」から遠い科はないでしょう。
ここまで後ろ向きな理由ばかりでネガティブな印象かもしれませんが、自分の資質を理解し、苦手を避ける「嗅覚」は非常に大事だと思います。
最後の、
- 医局の雰囲気
これは「眼科の医局は風通しが良さそうで、なんかいいな」という、ふわっとしていますが前向きな理由です。
実はこれが一番の決め手だったのかもしれません。

医局に所属するということ
――専門医を取るための後期研修は、眼科で3〜4年という流れですか?
そうですね。眼科の場合、4年間の後期研修が必要です。
専門医を取るには色々と細かい規定があるのですが、私は医局に入ったので、医局の言う通りにしていればとりあえず大丈夫という状態でした。
医局人事による私の後期研修先の変遷は次のとおりです。
- 1年目:初期研修と同じ病院
- 2年目:大学病院
- 3年目〜:某県郊外の関連病院
異動ガチャは大当たりでした。
慣れた環境で後期研修のスタートを切れたこと。肌に合わない大学病院を1年で脱出できたこと。3年目、少し遠い以外は最高の研修先に配属されたこと。
順調にキャリアのレールに乗っていました。4年目の春、妊娠するまでは。

妊娠とキャリア
不妊治療をしていたくらいなので、もちろん妊娠は喜ばしいこと。でも、これを機にキャリアについて大いに悩むことになります。
4年間の後期研修中、産休は取れますが育休を取ると研修期間が足りないと判定され、専門医試験が受けられなくなります。
育休を取ると、専門医取得が遅れる。育休から復帰後に後期研修再開?けど、子どもを保育園に預けて今の職場に復帰なんてできる?通勤に片道1時間半もかかるのに。かといって、育児と両立できそうな職場に異動させてもらうことはできないし。そもそも、自分で勤務先を選べないって無理ゲーじゃない?医局はいつか辞めるとして、とりあえず来年のことと専門医試験のことを何とかしないと
…など、グルグル思い悩む私のもとに、タイミングよく大学院進学のお誘いが舞い込んできました。

打算まじりの大学院進学
研究は好きだし割と向いている…と、当時は思っていました。大学病院から離れると同時に研究からも遠ざかっていましたが、また研究に関われると思うと「ワクッ」としたのは確かです。
でも、それ以上に打算が働きました。
大学院に進学すれば、病院勤務医よりは時間に融通がきくので育児との両立もしやすいし、異動ガチャからも一時的に解放される。
大学院は4年間。その間、研究しながら今後のキャリアやワークライフバランスについてゆっくり考えればいい。
そんな下心も持ちながら大学院進学を決意しました。というより、それ以外に選択肢はありませんでした。
| 段階 | 期間 | 内容 |
|---|---|---|
| 初期研修 | 2年間 | いろんな科を回り、幅広く経験する |
| 後期研修 | 3〜4年 | 専門を決めて、その科を深める。専門医の資格試験もこの過程。 |
| その後 | 人による | 大学院で研究する道、臨床で腕を磨く道に分かれる |
産後数ヶ月で職場復帰
そういうわけで、後期研修4年目の12月に第一子を出産後、育休は取らずに2月末に職場復帰。
最後の1ヶ月は夫と実母に息子を任せながら何とか乗り切り、4年間の後期研修を育休なしで修了。
無事、専門医試験の受験資格を手に入れた状態で大学院に進学しました。
まあ結局、進学して1年半で大学院も医局も辞めることになるのですが。

好きだった研究を楽しめなくなった日
――せっかく進学した大学院を一年半で辞め、医局も辞めようと思ったきっかけは何ですか?
何かきっかけがあって辞めたというよりも、キャリアや人生についてずっと考えてきた積み重ねがベースにあり、そこに色々なことが重なってそのタイミングになったという感じです。
ネガティブ/ポジティブで分けると次のようになります。
ネガティブな側面
- 研究の負荷がかかりすぎて限界を迎えた
ポジティブな側面
- フリーランスでも十分やっていけると分かった
- やりたいことが明確に見えた
大学院に進学し、毎日決まった時間に病院にいる勤務医生活から離れた途端、まるで霧が晴れたような、視界がクリアになった感じがしました。
それまでは目の前の仕事と時間に追われすぎていたのでしょうね。
「そうだ、私、翻訳家になりたかったんだ!」
「今の生活って擬似フリーランスじゃん!なんだ、フリーランスでも全然いけるじゃん!」
この2つの気づきから、翻訳の勉強を再開し、大学院を卒業したら医局を辞めて「フリーランスの医師×翻訳家」のパラレルワーカーになろうと決意。
キャパオーバーで言い訳ばかりの大学院時代
大学院1年目、自分のペースで研究をさせてもらえた間は良かったです。育児・研究・外勤(外来バイト)・翻訳の勉強と、バランスよく取り組めていましたし、充実していました。
ところが2年目に入り、研究チームの先輩大学院生たちが全員卒業。唯一の大学院生として先輩方の研究を引き継ぎ、次々に来る新規の研究プロジェクトも全て担当しているうちに、当然ながらキャパオーバーに。
今振り返るとあり得ないのですが、指導教官も「ちょっとやること多くて大変だと思うけど、がんばって!」と言うだけだったし、私も「私しか大学院生がいないんだから、私が全部やらなきゃ」と思いこんでいました。
夜、息子が寝た後や土日のお出かけの前後にも研究室に行って実験していましたが、元々育てていた自分の研究プロジェクトすら手が回らなくなり、進捗ミーティングでは言い訳ばかり。
指導教官含めて皆優しく、成果を出せない私を責める人は1人もいませんでした。それでも、ミーティング前に「あー、今月も全然進まなかったな。なんて言い訳しよう?」と思っている自分がいました。
これに気がついた時はショックでした。あれほど好きだった研究を純粋に楽しめなくなった。遅かれ早かれいつか限界が来るだろうと、はっきり認識しました。
とはいえ、この時はまだ「辞める」という選択肢は頭にありませんでした。

大学院は辞めてもいい!
その頃、昔の恩師と話す機会があり、
「大学院に入ったら卒業まで4年間いなきゃいけないって誰が決めたの?違うと思ったら1年でも2年でも辞めていいんだよ!」
と言われて初めて、「大学院は途中で辞めてもいい」こと、「卒業までいないといけないと思い込んでいた」ことに気がついたのです。まさに目から鱗でした!
時期を同じくして、もうひとつ重要なターニングポイントがありました。kindleの世界で、ビジネス書作家/FIREインフルエンサーである寺澤伸洋さんの存在を知ったことです。それに付随して、次のことを知りました。
- kindleなら誰でも出版できること
- 世の中にはFIREという自分らしい自由な生き方を楽しむ/目指す人がいること

執筆が楽しすぎる
翻訳家を目指して勉強していましたが、「私もkindle出版してみたい!」と、執筆も開始。楽しすぎて、研究のタスクが膨れ上がっていた中、意地でも執筆の時間を捻出していました。
また、私が目指していた「フリーランスの医師×翻訳家(+kindle作家)」という生き方がFIREの一種であると気づきました。
そして、寺澤さんの主催する交流会に参加し、kindle出版の話を聞いたりFIRE界隈の人たちと親交を深めたりするうちに、「今は執筆に集中したい!私も早くそっち側の世界に行きたい!」と強く思うように。
唯一の大学院生である私が研究を途中で投げ出したら、周りに相当迷惑をかけることになります。かなり悩みました。
でも、今の研究の負荷では確実にすぐ限界が来る(というより、多分もう限界でした)し、仮に我慢して卒業まで耐えたとして、それまでの時間も逃した機会も取り戻せません。
誰も私の人生の責任を取ってくれない。
「(卒業後ではなく)今、執筆に集中したい」という私の気持ちを尊重できるのは私だけ。
そう自分に言い聞かせながら、大学院中退と医局退局の決断をしたのです。

(緊張して全然話せなかった)
不妊治療と1ヶ月の猶予期間
――大きな決断だったと思いますが、どう気持ちに折り合いをつけましたか?
決断前に、試しに約1ヶ月だけ研究を休んでみて、気持ちに変化があるか様子を見てみました。
その頃、そろそろ2人目が欲しくて不妊治療を再開していました。実験で扱う薬の中には妊婦に禁忌の薬もあり、妊娠しているか微妙な時期、勝手に実験をお休みしました。執筆に集中できる環境の先取りも兼ねて。
結局この時は妊娠に至らず。ショックでしたし、数日後に大量出血(化学流産)が始まることへの恐怖もありました。
妊娠しなかったのだから、実験を再開しないと。頭ではそう分かっているのですが、どうにも心と体が拒否して、いうことを聞いてくれません。やはり限界だったのでしょう。
仕方なく、指導教官に「心身の不調」を理由に当月(2023年10月)末までの休養をお願いしました。
メンブレで決断しない
このタイミングで実母にも色々と打ち明けました。「好きなように生きなさい。できる限りサポートするから」と言ってもらえたことが心強く、救いになったことを今でも覚えています。
約1ヶ月の猶予期間を設けたのは、
「まともな精神状態ではない時に人生の大事な決断をしてはいけない」
という大原則があるからです。ずっと考えていたこととはいえ、妊娠できなかったショックでおかしくなっている自覚もあり、今は決断する時ではないと妙に冷静に見ている自分もいました。
それに、もしかしたら研究から一度しっかり離れてみたら恋しくなるかも…。絶対ないと思いつつ、そんな思惑もありました。

未練は1ミリもない
そしてひたすら執筆に邁進する日々を送り、迎えた月末。
私が出した結論は、やはり「もう全部辞める」でした。一応猶予は設けたものの、最初から心が決まっていたので当然です。
でも、実際に研究から離れてみて、研究への未練が1ミリもないことが確認できたので良かったです。これで心置きなく辞められる。そう思えました。
医局を辞めた時の周りの反応
――周りの反応で、意外だったものはありましたか?
指導教官からは激しい引き留めにあいましたが、それ以外は皆あっさりでした。
ワークライフバランスが叫ばれている今の時代、医局を辞める若手なんて珍しくないのでしょう。
教授面談の申し込みの際も、「あー、多分辞めるのね。はいはい。またか」という空気を感じました。こちらからすると清水の舞台から飛び降りるくらいの思い切った決断でも、先方からするとよくあることのひとつなのだと実感し、少し気が楽になりました。
面談当日、教授からは「辞めて申し訳ないなんて思う必要はない。自分の人生を生きればいい」と激励のお言葉をいただきました。
承諾は予想していましたが、ここまで背中を押してくださるとは思っておらず、ありがたくて胸がいっぱいになりました。

時間と場所の自由
――実際に医局を離れてみてどうでしたか?
研究の引き継ぎを完了して完全に離れると、ものすごく心が軽くなりました。悲しいけど、好きだった研究が思った以上に負担になっていたんだなと実感。
外勤(外来バイト)は続けていますが、「好きな場所で好きなだけ働く自由」「医者以外のやりたいことに存分に時間を割ける自由」のありがたみを日々享受しています。
今も続けている外勤先は、いずれも医局や先輩・同期から紹介してもらった勤務先です。
医局から離れましたが、そういったご縁には本当に感謝しています。
やりたくないことをやらない幸せ
――生活を自分でコントロールできるようになったことが、幸福度に直結している?
まさにそうですね。
大学院2年目になってコントロールできないほどの研究タスクが降り注ぐようになってから一気につらくなりました。それが、大学院を辞めたことで日常生活のコントロールを取り戻せました。
もっとマクロな視点でいうと、医局を辞めたことで医局人事から外れて、働く場所や時間のコントロールも取り戻せました。
もちろん、独り立ちできるようになるためには、オカミの言いなりになって耐える期間もある程度は必要だと思います。
でも惰性で続けるのではなく、自分の頭で考え、決断し、自分の人生を取り戻せて本当に良かったです。
やりたくないことをやらなくていい今の生活は最高に幸せです。

中退するけど何とかなるよ
――今この瞬間のナズナさんが大学院進学前の自分と少しだけ話せるとしたら、何て声をかけますか?
「結局、中退するけど、なんとかなるよ」って言う気がしますね。
研究タスクに潰されそうになったけど、大学院に進学したことは後悔してないし、指導教官のことも恨んでいません。
今振り返っても、子どもを抱えていきなりフリーランス生活には踏み切れなかったでしょう。それに大学院生活のおかげで翻訳家の夢を思い出し、寺澤さんと出会い、kindle出版とFIREの世界を知り…今の私があります。
少しでも何かがズレていたら今と違っていたかもしれないと思うと、私がコントロールできる範囲のことで「〜しなきゃ良かった」「〜すれば良かった」と後悔することは何ひとつありません。
だから、「大学院は辞めとけ」「違う研究チームに逃げろ」などといった警告もせず、「結局、中退するけど、なんとかなるよ」という、フワッとしたネタバレと肯定をすると思います。
編集後記
今回の取材を通して、ナズナさんの行動力に驚いてばかりでした。根底にあるのは「なんとかなる」という精神と、「やってみないと分からない」という思いです。だからこそ医局を出て執筆に挑戦し、それを楽しむことができるのだと思います。
ナズナさんの行動力と好奇心が、全く知らない世界へ一歩踏み出す背中を押している。そして困難を乗り越え続けるごとに、挑戦する気持ちがどんどん増していったのだろうと思いました。
ひとつのキャリアにこだわらず、面白いと思ったことに挑戦する姿勢を、自分自身も大切にしたいと感じました。
(探究ゼミ:浦野)
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