ラーメン起業した私がディズニーホテルに就職して学んだこと #1
みんな大好きラーメン🍜
美味しくお腹を満たしている一方、そこにはラーメン屋を経営している人が確実にいます。
僕らの日常にいるけど、よく知らないラーメン経営。現場の第一線にいる方の経験から、その実情を伺っていきます。
【高橋幸佑(たかはしこうすけ )】ラーメン店マネージャー。大学卒業後、ディズニーホテルに就職。25歳でラーメン店、カフェをオープンするも4年で閉店。イタリアンや中華で修行をしながら、鶏白湯スープに出会い再起を決める。現在は埼玉県の浦和と大宮で鶏白湯ラーメン店を運営している。
イメージで就職したディズニーホテル
ー大学を卒業してからディズニーホテルに就職されてますが、その経緯を教えてください。
高校生の時にラーメン屋でアルバイトを始めて、大学生の時も続けていたので、卒業後もそこで働くつもりでした。
そんな折、「たくさん職業がある中で、なんでお前はラーメン屋なんだ?」と親に言われ、「ラーメン屋しか知らないのも、確かにまずいな」と思うようになりました。
とはいえ、既に大学3年生の秋。
特にやりたいこともなく、とりあえず皆が知ってるような所に就職すればいいと、イメージの良さそうなとこを探しました。
ラーメン屋の世間体がイマイチだったので、その反動もあったと思います。
結局、ディズニーのオフィシャルホテルのひとつに就職し、お仕事的には、いわゆるボーイさんをやっていました。
ー就職してみてどうでしたか?
実際に働くことで、お金を頂けるサービスの価値基準が見え、サービスとは何かということを経験ベースで学びました。
この学びはディズニーホテルを辞めた今でも大事にしていることです。
ラーメン屋とは違った雰囲気の人達がたくさん働いていて、世の中にはいろんな人がいることも実感しました。
ディズニーホテルで学んだ”サービスの本質”
ー仕事を通した学んな部分をもう少し教えてもらってもいいですか?
当時の支配人に「真のサービスっていうのは何だと思う?」と聞かれて、自分は「お客様が最高に気持ち良くなること」と答えました。
それに対して、「違うんだ。サービスはお客様が一切、不快感を覚えないことなんだよ。自然に時間を過ごして、今日良かったなって思えることが最高のサービスなんだよ」と教えて頂きました。
こちらから与えることが価値あるサービスだと思っていましたが、この言葉でサービスに対する考えが変わりました。
お客様が不快感を覚えないサービス設計は本当に難しいことですが、今のでも大事にしている精神です。
ーディズニーホテルで働いてみて「ここがすごかった」みたいなところはありますか?
入社した人たち全員が、最初からプロフェッショナルを目指してる意識の高さです。
新卒研修の段階で、お客様に喜んでもらうにはどうしたらいいのか、を話しあう時があったんですが、専門卒、大卒関係なしに「こうしたい」というビジョンがみな明確にありました。
それから、働いている人たちのディズニーに対する知識量には驚きました。お客さんに何か一つでも聞かれたら全部答えられてしまう姿は本当にすごかったです。
パレードの時間、場所、どんな内容か全部頭に入っていたり、キャラクターや建物の歴史、名称の由来まで知っていました。
ディズニーについて常に学ぶ努力をして、サービスをお客様に届ける。新卒の段階で、そういう努力ができる同僚にたくさん刺激をもらいました。
自分の頭で考えて、何かを生み出したい
ーそんなディズニーホテルをやめたキッカケは何でしたか?
当然ですが新卒の段階では裁量がなく、会社のルール内で動くことに飽きてしまいました。
ラーメン屋のバイトをしていた時は、運転資金や余剰金など、お店全体のことを考えていました。
どうしたらこの店をもっと良くできるだろう?という視点で考え、思いついたアイデアはすぐに行動できていました。
ですが、ディズニーホテルだとそうはいきません。
自分がしたいことよりも、会社のルールの中で行動しないといけない。
少し離れた床の汚れに気が付いても、掃除するこはできません。ベルボーイの自分は、ドアの前から動くことを許されないのです。
掃除をしようと動いて「タカハシくん動かないで、そこ立っててくれる?」と上司から言われていました笑
そういった日々の積み重ねで、誰かに言われたことをするのではなく、自分の頭で考えて、何かを生み出したいなという気持ちが強くなっていきました。
ディズニーホテルを辞めて
ー会社を辞めるリスクは考えていましたか?
会社を辞めるリスクは全くないと思っていました。短い会社員経験でしたが、未練が完全にない状態でした。
仕事に対しても何の後悔もありませんでした。
ー会社員を続けていく選択肢はなかったんですか?
当時の自分にその選択肢は全く無かったです。
「サラリーマンなんか、誰でもできる仕事なのに何で続けているの?」と親父に投げかける酷いドラ息子でした。
今では、それが簡単ではないことが理解できるので、サラリーマンができる人に対して尊敬の念を持っています。
ただ、当時は会社員を辞めることに何の後悔もありませんでした。
ーそれで、またラーメン屋で修行して起業するわけですね。
そうですね、当時25歳だったんですが、銀行から1,200万円の借入を行いました。
そこから壮絶な日々が始まります...。
次回
高橋さんインタビューまとめ
[編集:吉中智哉 / 取材協力:高橋エリー]