#4 生きるとは?頭がいいとは?東京大学の先生に素朴な疑問をぶつけてみた
東京大学で教鞭をとる吉村先生。
今回は研究とは全く関係のない質問、
- 東大生ってどんな学生?
- 頭がいいって何?
- 生きてるってどういうこと?
そんな素朴な質問をぶつけてみました!
【吉村英哲 助教】
東京大学大学院理学系研究科化学専攻助教。京都大学工学部工業化学科卒業後、複数の研究所を経て、2009年より東京大学で教鞭をとる。
主な研究テーマは「生細胞内分子の動態解析と操作を通じた生命現象作動機構の解明」
目次
教員から見る東大生
ーー先生からみて東大生はどうみえますか?
ただの若者です。
別に悪い意味ではなくて、一人ひとりいろんな人がいます。「東大生」と括られることが多いと思うんですけど、普通の学生です。
素直な人もいるし、ひねくれた人もいる。自信のない人もいるし、自信満々の人もいる。
強いて言えば、挑戦する前から諦める人が少ない印象です。根拠となるデータがあるわけではありませんが。
「やればできるはず」って意識がある学生が多い気がします。それ以外は普通の人です。
大学生から意識してほしい学び
ーー大学生に伝えたいことはありますか?
高校からの学びと大学からの学びの違いを知ってほしいと思います。
高校までは、習うのがメイン。教えられた事を身に付ける。
世の中にある新しいことを身につけて習得していくだけでいいのは高校生までで、大学生からは習得することに加え、社会にアウトプットしていく転換期だと思うんです。
学ぶことは生涯続きますが、吸収したものから何かを生み出して、世の中に出す。
アウトプットしていく方向にシフトできれば、楽しく生きていけるんじゃないかなと思います。
人生が満たされない人はアウトプットしてみよう
人生がなんとなく満たされない人は、アウトプットしてみてください。
本を読んでも、テレビをみても、映画をみても、なんとなく満たされない。そんなあなたにオススメです。
何かを生み出すと、大なり小なり世の中に対して影響を与えていきます。アウトプットをして初めて、世界は反応してくれるんですね。
インプットだけで満たされなくなったら、好きな分野でいいので、何かを生み出してみてください。
自分のこどもに教えてること
自分のこどもにも「自分が楽しくて、そして、できるだけたくさん周りの人も楽しくなるようなことをやりなさい」とよく言っています。
自分が楽しくないことで人を喜ばしてもしんどいし、自分1人が楽しくても周りの人に必要のない余計な迷惑をかけるようでは困ります。
20歳前後から、自分も周りも楽しい状況を作ろうと思えば作れるようになります。
みんなで一緒に楽しんでいくような生き方をしてほしいですね。
頭がいいとは何か?
ーー先生にとって「優秀とか頭がいい」ってどんな状態ですか?
また難しいこと聞きますね(笑)
僕は、「優秀」「頭がいい」って意味が明確じゃないと思うんです。
世間的に「頭がいい」と言う時は、
- 色々なこと知ってる
- 頭の回転が速い
- 人が思いつかない発想をする
いろんな意味があります。
それを全部ひっくるめて、意味が明確に定まってないまま使われることが多いと思います。
だから、「頭がいい」とか「優秀だ」って言うのは何も言ってないのと同じ。意味のない言葉だと思います。
頭の良さに優劣はない
いわゆる頭の良さにもいろんなパターンがあって、
- 計算や処理がすごく早い
- 他人が思いつかないような良いアイデアを思いつく
- たとえありきたりなものでも次々いろんな考えをたくさん思いつく
どれも全く違う頭の良さですが、個性であって優劣はないと思うんです。
例えば、100 M 走が速い選手がマラソン選手よりも偉いわけでもないし マラソン選手の方が偉いわけでもないですよね。
「頭がいい」は「運動神経がいい」っていう言葉と一緒で、いろんな側面があってどれでもいいんですよ。
大事なのはどれだけ人を喜ばせたか
大事なのは、どんなものを作って、どれだけいろんな人に面白いと思ってもらえるものを作ったか。
頭の良さではないのかもしれませんが、結果でしか語れないのかなぁと思います。
その過程を見て楽しいってのも含めて、周りの人が見て「すげー!」って思うか。それだけかなって気もします。
中学生、高校生とかは成績で評価されることも多いですが、学力だけの評価じゃなくて、いろんな側面から、どこが長所か、どこが短所かを見ればいいと思います。
挑戦し続ける研究者へ
ーー周りの教授や教員を見て「これは凄い!」と思う人はどんな人ですか?
論文見て「すごいな!」って思う人はいっぱいいます。
個人的には、新しいことに挑戦している人が好きですし、応援したいと思います。
教授とかになって偉くなると、そのまま逃げ切れちゃう訳です。新しいことに挑戦しなくなってくる人も一部にはいます。
そうではなくて、偉くなってからでも「新しいものをガンガン取り入れて、世の中にないものを作っていこう!」そんな意欲をもって研究してる人は、すごいしかっこいいと思います。
最近の政策では新しい発想を求めて若い研究者を増やそうという傾向がありますが、年配の研究者でも新しいことをする意欲を持った人は沢山います。
若い人でも失敗しないことだけしている研究者もいるので、新しいことに挑戦するのに年齢は関係ないですね。
単純に年齢で研究者を切り捨てるのではなく、意欲的な研究者がどんどん挑戦できる。そうであれば素晴らしいです。
死ぬまで世の中に関わっていたい
僕自身は、死ぬまで仕事をしたいです。
未来ではどんなことができて、何が存在するかもわかりませんが、それまでの経験を生かして、何かしらずっと世の中に関わっていきたい。
それが出来なかったら、社会から閉ざされた老人になっちゃいそうで。
生きる術として「なんかおもろいことをやっていたい」っていうのがあります。
生きるとは何か?
ーー1分子レベルで生命を観察されていると思いますが、先生にとって「生きる」ってどんな状態ですか?
「生きてる状態」っていうのは結局、人間が定義しているだと思います。
人間がいない太古の時代では「これは生き物」「これ生き物じゃない」とか誰も考えてなかった。極端な話、誰かが亡くなったと判断する基準は法律で決まっている基準があるわけです。
その意味で、生きているか生きていないかの定義は人間が作ってるんだと思います。
人間の場合だと「瞳孔が開いた」とか「心臓、呼吸が止まっている時間がどんだけ続いた」とか。
細胞レベルになると、ますます難しいですよね。人が決めるのではなく、科学的に、客観的に決めるのはまだ難しいんじゃないかなと思います。
教科書的な「生きている」の定義
一応、教科書的には、生物の定義として、
- 外界と膜で仕切られている
- 代謝を行う
- 自分の複製を作る
ってのがあります。
ところが、合成生物学と呼ばれる分野の研究が最近進んできていて、例えばで脂質分子で包まれていろんな分子を取り込んだ粒を人工的に作ってやると、生物のように自分で増殖したりするんです。
そうなると「自己増殖するから生物」とも言えなくなってくる可能性も出てきます。技術が進んでいくと、生命も定義も変わってくるかもしれません。
世界一有名なヒト細胞
ここらへん倫理とかも絡んでくるのですごく難しいです。クローンで作ったものとそうじゃないものがどうかとか。
1951年から世界中で培養され、多くの研究に使われているヒーラ細胞(HeLa細胞)というヒト細胞があります。
この細胞は1951年に亡くなったアメリカ人女性に由来していますが、彼女は人間的な定義でいえば、既に死んでいるわけです。
ところが、亡くなった彼女の細胞は死後70年を経ても存在している。存在しているどころか、世界中で培養され日々増えている。
ほ乳類の培養細胞は、教科書的な生物の要件を満たしてないので生物として扱われない。だから培養してもいいんですが、元々は人間という生き物の一部です。
そう考えると、細胞っていうのは一体何なんでしょうか。生き物とみなしていいのでしょうか。
意識があるっぽいAI
少し前、Google のエンジニアの人が意識のある AI を作って会話させてましたよね。あれが意識かどうかは、正直怪しいなぁと僕は思うんです。
でも、よく分からない質問にはごまかしながら答えていたのを見ると、すごく人間っぽく感じました。
こんなこと考えていると…生き物って何でしょうね。
わかんないです(笑)
[文:ことね / 編集:吉中智哉]
[撮影:梨本和成 / デザイン:舩越英資 ]