#3 “麿”こと登坂淳一アナのNHK新人時代と急激に白髪になった理由を本人に聞いてみた
大学を卒業後、新卒アナウンサーとしてNHKへ入局した登坂さん。
登坂アナの新人時代はどうだったのか?
NHK時代の心に残ってる出来事とは?!
さらに、人気アナウンサーになったキッカケまで教えていただきました!
【登坂淳一】
法政大学卒業後、1997年にNHKへ入局。インターネット上で「麿」の通称で親しまれるなど、幅広い層からの支持をえる。2018年に同局を退職し、フリーアナウンサー へ転身。
バラエティ番組に多数出演するだけではなく、ブログや各種SNSでの発信、俳優業など、幅広い仕事に挑戦中。
目次
登坂淳一の新卒アナウンサー時代
ーーNHKへの就活で思い出に残ってることはありますか?
NHKスペシャルやクローズアップ現代など、好きな番組はありましたが、正直20歳そこそこの当時の自分にとっては、そこまで身近な存在ではありませんでした。
どちらかといえば民放を好きで見ていたので、少し遠い存在でした。
ただ、NHKのスクールに通っていたことや、NHKについて調べ、面接が進むことにつれて、多種多様の先輩方が、本当に様々なジャンルの番組や事業をしている事が分かってきました。
就活を通して、だんだん距離が縮まっていくような肌感があったことを覚えています。
特に印象的だったことが面接です。
「どんなことを君はやってみたい?」や「どういう分野や物事に興味があるのか?」と、面接ではとても丁寧に話を掘り下げて聞いてくれたんです。
「就活生とこんなに話をしてくれて、話を聞いてくれるんだ!」と、言葉が適切か分かりませんが、意外でとても嬉しかったですね。
最初の赴任地は和歌山県
ーー入社後の様子を教えてください。
入局して最初の2ヶ月、4~5月に研修があり、6月に配属先に赴任しました。同期のアナウンサーは26人いました。それぞれ山形や秋田など各地方に配属されました。
新卒の配属では、県単位の放送局に行くのが一般的で、最初から都市部に配属されることはほぼありません。
ところが、僕は同期の中で1人だけ関西地方になったんです。関西は、大阪放送局をキーステーションに関西2府4県に放送する地域拠点局*です。そういうエリアに最初から配属されることはかなり珍しいんですね。
*編集部注:地域拠点局 本部を除く53の放送局のうち、大阪、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、松山の7つの放送局を地域拠点局と位置づけ、域内各放送局の支援・調整機能を持たせている。 |
その中で、僕の最初の赴任地は和歌山県でした。
NHK新卒アナウンサーのお仕事
アナウンサーというと、テレビやラジオでニュースを読む仕事だとイメージされるでしょう。
たしかにお昼前のお知らせと天気、夜7時前のニュースと天気を読むことはありましたが、それ以外に決まった仕事はないんです。
NHKではアナウンサーとして採用されたとしても、番組の企画制作・ディレクターも兼ねているんです。したがって自ら仕事を作ること、自ら提案して発信することも求められていました。
だから、関西の2府4県にお住まいの皆さま向けのニュースのネタを考える。
常にネタ探しをして、提案票というものを書いて出す。それが通ったら、夕方の関西ニュースで3分半の生中継をする。そんな繰り返しの日々でした。
1日2回の放送以外に決まった仕事は特にないので、とにかく自分で仕事を探して作っていくことが求められたんです。
初めての大仕事
自分でニュースを考える課題に直面するのは、新卒1年目9月の研修でした。
そこで何が評価されたのか、どうしてなのか提案が通ってしまい、大阪のお昼ローカルを担当させてもらうことになりました。
大阪は東京に次いで2番目に大きい局です。
人も多いし、ベテランの職員も大勢います。そんなところの真ん中でいきなりニュースを読む。こちらは1年生のひよっこです。とても緊張しました。
早々に自分が置かれている環境になんだかよくわからなくなって、もう生きた心地がしなかったです(笑)
人生を変えた事件
ーーNHK局員時代に特に印象に残っていることはなんですか?
言わずもがなですが、やはり3.11(東日本大震災)のことは大きいです。
とてもショッキングでした。言葉を尽くしても言い表せない。
報道の担い手としても、放送が放送を求める人たちに届いていなかった反省もあり、当時自分たちに何ができて、何ができなかったのか、その後の報道のあり方というものを改めて考えるキッカケになりました。
我々はどうすればよかったのか、何が出来たのか。
このことを振り返ることができるようになった時が来たとして、この先の未来に活かしていくにはどうアクションを起こせばいいか、スタッフ全員で真剣に議論を交わしました。
我々は命を守るために報道しなければならないという気持ち、信念に近いものは、ずっと僕の心の奥に流れていたように思います。
新卒2年目で起きた和歌山カレー事件
僕の報道人生の原点になったという意味では、和歌山のカレー事件が挙げられます。
最初の赴任地が和歌山と言いましたが、これは僕の新卒2年目の出来事で、その後の報道人生に繋がっていくセンセーショナルな事件です。
自分が暮らしている、のどかで静かな街で、これほど大きな事件が起きたことの驚きと衝撃。
正直現実味が無く、一体何が起きているのか、報道に身を置きながら、最初はよくわかりませんでした。
住民の数を超える報道陣がぞろぞろとやって来て、その後「メディアスクラム」という言葉も生まれました。
それほどのとてつもない熱と勢いがありました。
現場にいる人間も混乱の極みの中で、辛うじてどうやら「確かな情報らしいもの」ーここがリアルタイムの報道の難しく歯がゆいところですが、その時点で判明していることしか伝えられないんです。
ある程度根拠のある「確からしいもの」をテレビを通して伝えていく。
僕も毎日現場に足を運び、半年ほどはこの事件にかかりっきりでした。
20代半ばで、とてつもなく忙しかったですが、多くのことを身をもって学んだ事件でした。
都市と地方の違い
ーー様々な地域で働いてみて感じたことを教えてください。
東京時代は、臨機応変な対応力が鍛えられました。
日本の放送の中心だけあって、本当に様々な多くのニュースが本番直前まで飛び込んできます。新しい情報が次々と入ってきて、ニュースや原稿がどんどんと差し替わっていきます。
尺の調整を求められることも多かったですが、困った時は「為替と株」で調整しました。
就活時の株価チェックの習慣がここにきて役に立ちましたね(笑)
東京だからできること
東京時代に一番学んだことは「最前線で伝えていく」ということです。
NHKには、世の中のために役に立つ放送を届けるという脈々と流れ継がれる使命があります。
国のトップが変わったり、世界を巻き込む大事件が起きたり、首都・東京には想像も及ばない事件が続々と入ってきます。
世の人々のなるべく多くの人が必要とするであろう情報を取捨選択して伝える。まさに報道の最前線にいるという責任感といいますか、格好をつけた言い方をすれば、「その時代を目撃して伝える」こと。
そんな意義や責務を身に沁みて感じました。
その地域ならではの良さがある
とはいえ、「東京最高!」ということが言いたいのではありません(笑)
もちろん東京出身者としては馴染みがあり、気楽な部分もあるにはありましたが、その土地やその地域なりの良さや特性があるという話をします。
東京後の4年間は北海道勤務になりました。
ここで今の趣味でもあるカーリングと出会い、一次産業の多くの生産者の方々に取材をし、それまでの価値観が180度変わるくらいの素晴らしい経験をしました。
都市部で暮らしていると、大概お米の値段はただの数字でしかありませんよね。「今日はお米2kg〇〇円か」と言うように。
しかし、実際に北海道で暮らしながら、農家さんを取材して、その大変さやその生産に懸ける想い、必死に育てながらも最後の最後は天候に左右されてしまう残酷ながらどうしようもない部分を目の当たりにすると、ニュースを読む時もただ単に「米の価格が上昇しました」とは言えないんですね。
そこに人の生活があることを知ってしまったから。軽い気持ちでは決して読めないんです。
これは北海道に赴任するまでは僕の中には無かった感情です。その土地土地で学ぶことが本当に多く、今も糧になっています。
登坂淳一が人気アナウンサーになったワケ
ーー「麿」の愛称で親しまれるなど幅広い支持を得ました、ご自身では人気の要因はなんだと思われていますか?
ありがとうございます。それはそうですね…。
髪を染めるのをやめたからじゃないでしょうか(笑)
元々白髪になりやすい家系でした。それに併せて、過労なのかストレスなのか分かりませんが、20代から白髪が目立つようになり、少しずつ進行していきました。
一応人に見られる仕事なので、誰に言われたわけじゃないんですが、「染めなきゃ」と思い込み、月に一度のペースで黒染めをしていました。
思い込みを解いてくれた美容師の言葉
会社員の方ならなんとなく共感してもらえるのではないでしょうか。世間の同調圧力も少なからずあったのかもしれませんが、突き詰めれば本当に思い込みです。
黒染めを始めて8~9年目の時、美容師さんから「とても髪が傷んでるし、頭皮も滲みるでしょう。頭皮にもダメージが酷いです。これ以上はカラーリングしない方がいいですよ。」と言われました。
同時に「登坂さんは絶対グレーが似合う!これからグレーの時代がくる!自然体の方が僕はいいと思います。」とも言ってくれました。
自然体でいこう
本来商売を考えればお客さんが望む以上、髪や頭皮のダメージを考慮しつつも白髪染めを続ける方が、美容院としての売上は上がると思うのですが、その時にアドバイスしてくれた美容師には感謝していますね。
放っておけないほどダメージが酷かったんですかね(笑)
この言葉で固定観念に縛られていた自分に気がつきました。
どうしてだか黒髪にこだわっていたけれど、黒じゃなくてもいいじゃないか、それも個性じゃないか、言ってくれたようにこれからは自然体でいこうと思いました。
通常は数ヶ月かけて段階的に戻していくらしいのですが、「今日限りでやめましょう」という流れで、一気に染めるのをやめました。
やはりそれほどダメージを負っていたんですね(笑)
当時はニュースで毎日テレビに出ていました。だから、僕の頭がどんどん日増しにグレーの部分が増えていくのが視聴者にも当然伝わります。
挨拶で頭を下げると、どうしても白い頭部が見えるんです(笑)
ニュースを通して顔は多少知られていましたが、顔と名前が一致している方はそれほど多くなかったと思います。
この「登坂淳一、日増しに白髪が増える件」がインターネットを中心にツッコまれて、話題にしていただきました。
このことが世間に広く名前を知ってもらえたキッカケだったと思いますね。
登坂淳一重病説
ーー当時重病説など出ていたと聞きました。
病気やら、いじめやら、働きすぎやら、憶説がたくさん出ましたね(笑)
僕はすこぶる元気で、さらに頭皮にとっても負荷を掛けることをやめたので、どんどん健康に近付いているのに、周りからは顔を合わせる度に心配されたり、怪訝な目で見られたりしたので、不思議な感覚でしたね。
でも、あの時決断してよかったと心底思います。
当時は30代半ばで、勢いある若手から信頼感ある中堅へのイメージの変革が必要な時期でもありました。
白髪染めをやめた流れで、スーツの色を変えてみたり、ネクタイも曜日で固定してみたり、どうにか印象に残るように試行錯誤をしていましたね。
次回#4予告
ーーフリーになって6年ほど経ちましたが、お仕事の幅にはどんな変化がありましたか?
NHKを辞めた、2018年の年末にはNTV『絶対に笑ってはいけないトレジャーハンター24時!』に出演させていただきました。
ダウンタウンさんは本当にとても優しくて...
\ 編集部PickUp /
今回インタビューした登坂淳一さんが主演するオリジナルドラマ「スパイめし〜異国グルメ潜入記〜」は、以下の日程で新作が放送されます。
#3【西川口 安老爺編】
2023年11 月 18 日(土)23:30~
#4【鶴見 ユリショップ編】
2023年11 月 25 日(土)23:00~
#5【横須賀 ナウリンズ編】
2023年12 月 2 日(土)23:10~
#6【高田馬場 タウンジーカフェ編】
2023年12 月 9 日(土)23:30~
詳しくはチャンネルNECO「スパイめし〜異国グルメ潜入記〜」特設ページ*をご覧ください。
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*過去シリーズはこちら
[ 編集:吉中智哉]
[撮影:梨本和成 / デザイン:舩越英資 ]