#1 アフリカで給食事業?! NPO法人「せいぼじゃぱん」がマラウイの子供たちに給食を配るワケ

アフリカのマラウイで現地の子どもたちに給食を提供する事業を行っている「せいぼじゃぱん」。

「アフリカで給食提供ってどういうこと??」

身近でない分イメージしにくいかもしれません。実際の事業内容や日本とマラウイの意外な関係についてお聞きしました!

【せいぼじゃぱん 山田 真人】

上智大学を卒業後、英国の通信会社モベルコミュニケーションズに入社。会社員として働きつつ、NPO法人「せいぼじゃぱん」を設立。

「せいぼじゃぱん」理事として、アフリカのマラウイにて子どもたちに給食を提供する事業をおこなっている。

せいぼじゃぱん設立について

ーー「せいぼじゃぱん」の名前の由来を教えてください

名前の由来は2つあります。

一つは、一番最初のせいぼの立役者のお一人である、さわこ・ネビンさんが卒業された学校が、聖母女学院(現:香里ヌヴェール学院)という大阪の学校だったことです。

マラウイ現地はキリスト教との関わりが多いので、そのアイデンティティを大切にするために名付けました。

二つ目は、「聖母」という名前を親しみやすくひらがなを使って「せいぼじゃぱん」とし、母なる大地アフリカの象徴などの意味もこめています。

私達がマラウイで事業を始めたのは2015年。それより以前、2011年から2014年ぐらいまでは、JICAのボランティアの方が入ってくださっていました。

JICAのプロジェクトで、岩手県遠野市の米粉をマラウイに送って、それを給食にすることで町おこしをするチャリティーをやっていました。

その関係でマラウイと日本とのつながりがあったんです。

2015年にJICAのプロジェクトが終わるタイミングで誰かが続けなければと、JICAの方々、さわこ・ネビンさん、その他多くの日本の関係者に協力していただきました。

せいぼじゃぱんの事業内容

「せいぼじゃぱん」は、アフリカ南東部のマラウイ共和国にて、現地のこどもたちに給食を提供する事業を行っています。

給食の提供については、以前は15,000食の提供でしたが、2024年現在は、17,200食ぐらいです。

本当は一気に拡大したいところですが、意図的に少しずつ大きくしています。

給食支援の様子

一気にスケールしない理由は、確実に子供たちの元に届くようにするためです。そのために、どうしても一定の基準が必要となります。

  • 定期的に学校を開いているか
  • 在庫がまだあるのに要求していないか
  • 食事の保管は適切になされているか

そういった基準をクリアしたコミュニティと一緒に進めていかないと、多くの子供たちに食事が届かない。ただ数を増やせばいいというわけではないんです。

コミュニティ・ベースド・チャイルドケア・センター(CBCC:Community Based Childcare Center)と呼ばれる、地域コミュニティが運営している子供センターへの支援を広げているので、徐々に増えているというのが現状です。

マラウイでNPOが重要な理由

ーーなぜ学校給食支援が必要なんでしょうか?

マラウイで給食支援を展開する主な理由として、格差の問題があります。

現地では職業の格差があり、農業を営んでいる人は安定した生活が困難な状態です。政府で働いてる人が人口の20%くらい、農家で働いてる人が80%くらい。そのため、格差が大きくなってしまいます。

だからこそ、そんな二極化する中で、第三組織としてNPOが重要なんです。

どれだけ客観的に状況を観察し、第三者として政府の活動の足りない所を埋めて、必要な時は声をあげて提言する。それがNPOの役目だと思います。

給食支援の「問題点」

給食支援の問題点として、政府の助成金が不安定な点が挙げられます。

マラウイでの学校給食に対する助成金は安定しているとは言えず、一時ストップしてしまったこともあります。

そもそも学校に行ってない子どもが多いから学校給食はなくてもいい、と思われるかもしれませんが、そうではありません。

貧しい人の中には「学校給食があるから学校に行く」人もいるわけです。その学校給食を抜いてしまうと、そもそも学校に行く理由などない、という発想にさえなってしまうのが現状です。

\コーヒーを買ってマラウイの給食支援! /

せいぼじゃぱんでは、おいしいコーヒーを通したマラウイの給食事業の支援を行っています。

以下のサイトからコーヒーを購入すると、その購入金額の"100%"が支援に充てられます。

気軽な寄付として、ぜひご活用ください!

絶対的貧困と相対的貧困

「マラウイは貧しい」というのは、ある側面では正しいですが、別の側面では正しくありません。

例えば、世界全員が1日1ドル以下で生活していれば、私達は貧しいと思わない。世の中にコーヒーがなかったら、朝コーヒー飲めないことは不自由に思わない。

そう考えると、マラウイしか知らない人は、そこでの生活が自然なわけです。私たちは、常に相対的な目線で、貧しさというものを決めています。

貧しさの中で生まれるチャリティー精神

また、貧しさの中で生まれるチャリティー精神というものがあり、それが歴史を動かした瞬間もあります。

チョクトー族という、アメリカの先住民がいます。その「チョクトー」っていうのは、弓矢を放つって意味らしいんです。その弓矢が「将来のために矢を放つ」として「投資をする」という意味に繋がっています。

その投資はなにかというと、お金じゃなくて食べ物。食べ物を子どもたちに与えるっていうことなんです。

1800年代半ば、アイルランドでジャガイモ飢饉が起こりました。そのジャガイモ飢饉のことを当時のイギリスのメディアが報じて、それをメディアで知ったチョクトー族がアイルランド人に寄附をするということになったんです。

ジャガイモ飢饉の中、家族の元を離れ北米へ向かう人々

そんなチョクトー族は裕福だったかと言えば、全然そんなことはない。むしろ、ミシシッピ州への強制移住もあったりして、自身も窮地に立っていた。

マラウイと日本の関係

同様にマラウイも、実は東日本大震災のときに日本に寄付をしてるんです。

心が動いたことに素直になれ、その結果の行動も迅速である点で、貧しい人々のコミュニティ精神のようなものは、先進国よりも豊かかもしれません。

復興庁「海外からの支援に対する感謝 」https://www.reconstruction.go.jp/10year/thanks.html

戦後日本とチャリティー

日本の学校給食とチャリティーでも、興味深いエピソードがあります。アメリカのチャリティー団体の援助が、戦後の学校給食開始に寄与したという話です。

アメリカの「ララ」(Licensed Agencies for Relief in Asia)という団体が、戦後日本へ食料などの支援を行いました。この支援物資は「ララ物資」と呼ばれ、当時の栄養事情に大きく貢献しました。

終戦直後の子どもたちを飢えや寒さから救い、感謝を示す歌までできた。そして、それが戦後の学校給食に繋がっていったという話もあります。

その後の日本の高度経済成長を考えると、厳しい時期に支援をする大切さがわかります。

日本もそういうチャリティーで心が動いて、世界を変える国になるかもしれないと、信じています。

マラウイの今後

ーーマラウイでは第三セクター(政府と民間が一緒にやってる事業)が今後増えていくとお考えですか?

はい。増えて欲しいですし、それが今後学校給食の提供を受けている子たちが大きくなって、世の中を変化させていく希望になっていくと思います。そのためにも学校給食は必要だと思います。

子どもたちが将来、民間でビジネスをしていく状態にならないといけないと思います。20%(政府側)に入っても、また過去の時代の繰りになってしまうかもしれません。

しかし、民間のビジネスや民主制が育っていないのは、植民地だった時にそうなってしまったのが原因だと思っています。

ヨーロッパからの資金が入って、それが政府に入ってくる。だから、政府の人がトップダウンで政策を決めていく事になってしまいます。

編集後記

今まで子どもに関わるボランティアへいくつか参加してきましたが、自分の限界を感じることが多かったです。

今回お話を聞いて、自分自身に「ボランティアをするなら“善い”人間にならないといけない」縛りを課していたからだと気づくことができました。

自分の私利私欲ももちろん満たした上で、それが回り回って他者貢献になっているという考え方が、いままで考えついたことがなく、とても参考になりました。どのお話も刺激的で、たくさん勉強させていただきました。

いただいたコーヒーも大変美味しかったです。ぜひ皆さんも飲んでみてください!☕️

探究ゼミ4年生メンバーの感想より

[ 文:東濱理沙 / 編集:はる]

[撮影:梨本和成 / デザイン:舩越英資 ]

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