#4 「全員ビックマックに変えろ!」航空会社に抗議して友達を作った?旅のプロが断言!「一人行動」が人生と仕事の出会いを最大化する理由

野村訓市(のむら・くんいち)
1973年生まれ、東京出身。ライター、インテリアデザイナー、俳優、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍するマルチクリエイター。
慶應義塾大学総合政策学部卒業後、世界各国を旅し、1999年には辻堂海岸で海の家「sputnik」をプロデュースする。
店舗設計事務所「TRIPSTER」主宰。映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)や『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)に出演。映画『犬ヶ島』では原案に関わるなど、国際的な作品にも活躍する。
目次
転機となったテキサス交換留学
ーー人生が1番変わった瞬間はいつですか?
良くも悪くも流されて生きてるから大きな転換点はないけど、強いて言うなら高校の時に交換留学に行ったこと。アメリカのテキサス州だった。それがなかったら今の自分はないと思う。
ホストファミリーは貧乏で、かつ敬虔なクリスチャンの家庭だった。俺が1年間過ごしたのは窓がない洗濯機の部屋だったけど、ホストファミリーはすごくいい人達だった。
東京にいるときはカッコつけていたり、人の親切を当たり前と思っていたりして、とにかくイキがってた。でもホストファミリーと出会って、初めて損得勘定なしで親切にされることを経験した。

見返りを求めない付き合い
無償の愛がこの世にあるということを学んだのは、俺にとって大きかったと思う。
白人しかいない小さな街にやってきた、変わった日本人に優しく接してくれて、ご飯も実の子と等分に分けてくれたし、ホストファザーはバイクの後ろに乗せてくれたりした。実の息子すら乗せない、大事なバイクにね。
ホストファミリーを通して、人付き合いというのは見返りを求めてはいけないんだっていうことをリアルに感じた。だってそうしてもらった1年だったから。
斜めに世の中を見る10代だったけど、そこで変わったかな。教訓みたいなものが今でも生きてる。
1人行動の大切さ
ーー旅のコツはありますか?
複数人で行くんじゃなくて、1人で行ってみることかな。2人で旅行に行くと、困ったときに相談しちゃう。
あとは、1人でクラブとかに並んでるときに、隣に並んでる人と仲良くなって「お前1人?」って言われて友達になることもある。だけど複数人になると、突然そのハードルが上がる。
知り合いに「1人だったらライブにゲスト枠で入れてやるよ」って誘われたり、飯屋でも「1人なら、こっちのテーブル来いよ」って言われたり。
複数よりも1人でいるときの方が出会いは遥かに多いと思う。

俺がスプートニクの取材をやってるときは、ずっと1人だった。 取材終わりに「今から友達と飯食いに行くけど、お前も来る?」って言われたり。
1人だけだと良いけど、2人だとちょっと無理かな…ってなるから、1人でいるってめっちゃ大事。俺が1人で取材したときの取材先の人とは、今でも仲良くしてるよ。
ギブミービックマック!
ーー旅の変わったエピソードはありますか?
ある時デルタ航空でLAから東京に帰る便に乗ったら、機材トラブルで飛ばなくなっちゃって。2時間くらい飛行機で待った上に、次の便が用意できるまで降りて待ってくださいって言われて。
結局用意された飛行機がシアトル行きの便で、次の日の昼に出発した。機内食も無くて1日何も食べてない状態だったから、夜中にシアトルに着いたとき、飯を用意しろって抗議したの。

そしたら、最初にチーズバーガーが20個くらい運ばれてきた。でも俺は、夜中の1時まで待って、結果用意されたのがチーズバーガーなのが納得できなかった。ポテトもないんだよ(笑)
すげえ腹減ってたし、こんなに待ってチーズバーガーなんてあり得ないと思った。
だから、全員分ビックマックに変えろって抗議したの。そこに乗ってた200人くらいの人たちも、全員「ビックマックが良い!」って賛同してくれて。
それを後ろで聞いてたフランス人に、「お前日本人なのにすごいな。 文句言う人初めて見た。」って言われた。LAで見に行っていたファッションショーのディレクターだったらしいんだけど、今も友達だよ。

バブル期のエピソード
ーーバブル時代の思い出を教えてください。
バブルの頃のいいところは、みんなお金を持っていて気前が良かったことだね。
遊びに行って、クラブでガシガシ踊ってると、「君元気でいいね」って怪しいバブル紳士から声をかけられて。朝まで遊んで、「おなか空いたから飯食おう」ってイタリアンを食べさせてくれたり。みんな余裕があると人に親切にできるんだよね(笑)。
バブルが終わって、バックパッカーになった俺たちは数年たって日本に帰国した。そこで「日本変わっちゃったな」「ケチになっちゃったな」と思った。
金持ちは金持ちとしか付き合わないし、上下関係の厳しい世の中になったと思う。だから今の世の中は余裕がないんだと思う。余裕があったらこんなにギスギスした空気感にはならないから。
カルチャーは世代・立場を越えてシェア
だから、自分はとても恵まれていたと思う。昔はどこに行っても自分が一番若くて、大人がいろいろなことを教えてくれたり、ごはんを食べさせてくれたりした。そのお陰で今の自分がいると思っていて、カルマが悪いから今は自分が出来ることはしようと思ってる。
自分の好きなカルチャーは、自分だけのものにするのではなくて、シェアしないと死んでいってしまう。
内輪だけで楽しむのではなく、若い人をどんどん入れていきたいね。俺より年上のDJもいれば、20代の子もいるというような感じで、年齢も上下関係も気にせずやれたらいいなと思ってる。

SNSが変えた情報の価値
ーーSNSがなかった時代と今の違いは何だと思いますか?
俺が若かったころは、今はタダになった情報にとても価値がある時代だった。旅行先に地図に載っていない良いビーチがあって、口コミで伝わっていくようなことがあった。
でも、今は誰かが写真を撮ってSNSにアップすれば、一週間後にはみんなが知ってる。
SNSやWebのない20代を過ごせたのは俺とその2~3個下くらいまでなのかな。そういう時代の良さはすごくあったと思う。みんなが情報に対して命を懸けてた。
音楽に関しても、今はSpotifyやAppleMusicがあるけど、昔は当然なくて「あいつすげえ嫌な奴だけどテクノのCD200枚もってるらしい」となれば、仲良くならざるを得なかった(笑)。
今みたいにShazamもないから、クラブでかかった音楽が気に入ったら、「レーベルを知りたい」ってみんな必死になってた。
編集注:「Shazam」携帯をかざすと曲名を教えてくれるアプリ
そんな中で、例えば1万円の写真集やレコードを買うとなればとても大切にするよね。今みたいに猛スピードでいろいろな情報をかき分けていくのではなくて、一つひとつをゆっくり消化していく感覚があった気がする。
【文:安村綾夏 / 編集:吉中智哉】
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