第3回 アメリカでサッカー人気上昇中?実は世界トップレベルの米国サッカー事情とその背景

太田 圭輔(おおた・けいすけ)
1981年生まれ。清水エスパルスや柏レイソルなどでプレーし、Jリーグで16年間にわたり活躍。
2018年に現役を引退後、単身アメリカへ渡り、ノースカロライナ州で語学を学ぶ。その後、セントラルフロリダ大学に入学し、大学サッカー部でコーチを務めながら修士課程を修了。現在はアメリカのコーチングライセンス取得を目指し、現地で指導活動を続けている。
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「アメリカでサッカー不人気」はもう古い?
ーーサッカーはアメリカ国内ではアメフトやバスケに比べると人気がないと聞きます。一方でFIFAランキングでは上位に位置しています。このギャップは何でしょうか?
あまり知られていませんが、男子はワールドカップで決勝トーナメントに進出していますし、女子は常に世界No.1を争うレベルにあります。
僕がいるフロリダ州を含め、アメリカではサッカー人口が非常に多く、子どもたちが最初に始めるスポーツはサッカーというケースが多いんです。
背景には、大学スポーツ文化があります。アメリカでは好きなスポーツで結果を出せば奨学金を得て進学できるので、子どもたちにとってサッカーは有力な選択肢になります。

さらに、最近ではメッシ選手のMLS(メジャーリーグサッカー)移籍や、10万人規模のスタジアム建設といったニュースもあり、サッカー人気は一気に高まっています。
ヨーロッパのサッカー人気はもちろん圧倒的ですが、アメリカも今後5〜10年でそれに迫る勢いがあると感じています。
アメリカサッカーが強い背景
ーー競技人口が増え、世界大会で結果を出し続けられれば、アメリカ国内での人気もさらに高まるということですね。
そうですね。女子サッカーだけを見ても、専用のスタジアムやクラブハウスがあり、ヨーロッパの男子トップリーグ並みの施設が女子のために用意されています。
アメフトや野球など他競技の成功例がある分、スポーツマネジメントや環境整備も進んでいると思います。
加えて、多様な人種が集まっている国なので、身体能力の高い選手や個性的なプレースタイルを持つ選手が多いのもアメリカならではの強みです。

サッカー選手の引退後のキャリア
ーー同世代の方で、現役引退後に海外に出られた方はいますか?また、周りの方々はどのようなキャリアを歩まれていますか?
僕が選手だった時代は、海外でプレーする選手はとても少なく、日本代表クラスような一部の選手だけが行ける時代でした。
ところが今は、大学生や卒業したばかりの若い選手でも、どんどんヨーロッパに挑戦できる時代になっています。
一方で、僕のように引退してから海外、特にアメリカに渡ったというケースはあまり聞いたことがありません。最近はドイツなどに指導者として行く人も増えていますが、30代半ばから大学に入り直して勉強するという例は珍しいと思います。
周りの同世代を見ても、指導者になる人もいれば、実家の仕事を継ぐ人もいる。キャリアは本当に多様で、一つの道に決まっているわけではないと感じます。
指導者ライセンス取得は日本も米国も大変!
ーー今アメリカのコーチングライセンスの取得を目指してると伺いました。
現在目指しているのは「アメリカサッカー協会(USSF)公認A-seniorライセンス」という資格です。
これを取得すれば、MLS(メジャーリーグサッカー:男子プロリーグ)やNWSL(ナショナル・ウィメンズ・サッカーリーグ:女子プロリーグ)でも監督を務められるレベルになります。
そのためには、プロのトップチームや大学でのコーチング経験が必須です。僕は大学・大学院で学びながら、同時に現場での経験を積み重ねてきました。
資格取得の可否は1年間の活動全体で判断される仕組みで、今年(2025年)12月に結果が出る予定です。取得にはかなりの時間と労力を必要とします。
日本のA級ジェネラルライセンスも昨年取得したのですが、日本も同じような形で出席が必要なミーティングが3回ありました。
その度に日本に帰らなければならなかったので、アメリカでの試合後すぐに日本に行き、1週間滞在してまた戻る、というハードなスケジュールでした。
アメリカのライセンスは、出席が必要な3回のミーティング以外に毎月数回ずつのzoomでの講義や、課題の分析などもたくさんあり、英語で受講しているということもあるのですごく大変だと感じています。

キャリア形成は行動!行動!行動!
ーー将来のキャリアについて、どのくらい先まで考えて行動していましたか?
アメリカに行く前から、「必ずコーチになる」と決めていたわけではありません。
当時の選択肢は3つありました。
- コーチとして選手を指導する
- スポーツビジネスの世界で働く
- 当時流行していたパフォーマンスコーチになる
35歳で渡米したとき、55歳までの20年間を正確に描けていたわけではありませんでした。
唯一決めていたのは、「10年後もアメリカや海外で英語を活かして活躍したい」という大きな方向性だけ。具体的な職業までは決めていたわけではありません。
ただ、とにかく行動することは意識してました。現地で体験しながら、自分に合う道を見つければいいと考えていました。
そして今、44歳になり、渡米からまもなく10年。アメリカでプロコーチとして、"英語を生かして活躍する"という当初の目標にあと1、2年ほどで手が届きそうなところまで来ています。
ライセンスを取得し、この道をさらに進んでいきたいと思っています。

日米をつなぐプロ指導者へ
ーー今後のキャリアの展望について聞かせてください。
1番の目標は、アメリカのMLSやNWSLなどのプロチームでコーチングスタッフとして働くことです。
より高いレベルの選手を指導し、成長をサポートできる立場になりたいと思っています。
また、日本のアンダーカテゴリー代表チームや、アメリカでプレーする日本人選手たちの力にもなりたい。「日米をつなぐ存在」として貢献できたらうれしいです!
人生は最短距離で進めない
ーー最後まで読んでくれた読者へ、ご自身の経験からアドバイスをお願いします。
若いときは将来が見えず、何をしたらいいか分からないことも多いと思います。でも、自分が少しでも興味を持てることに挑戦してみることが大事です。
理想は、やりたいことがすべて決まっていて最短距離で進めることかもしれません。ただ現実はそう簡単にはいきません。
だからこそ大切なことは、大きな方向性を見据えつつ、まず動いてみること。その中で自分に合うかどうかを見極め、軌道修正していくのがいいと思います。
僕自身、アメリカに行ったときに「来ただけで成功なんですよ」と言われました。当時は実感できませんでしたが、10年経って振り返ると本当にその通りだと思います。
あのとき渡米する決断をしていなければ、今の自分はいなかったです。
挑戦には失敗もつきものです。でも、若いうちは何度でもやり直せます。
僕も35歳から全く違う道に進みましたし、アメリカでは40代、60代、さらには80代でも大学に入り直して新しい仕事を始める人が珍しくありません。
だからこそ、「興味のあることを見つけて一歩を踏み出す」。それがキャリアをつくる上で、何よりも大切だと思います!
【文:吉田遥希 / 編集:吉中智哉】
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