第1回 Jリーガーから米国大学サッカーコーチへ:引退・渡米・進学、太田圭輔のセカンドキャリアの舞台裏

太田 圭輔(おおた・けいすけ)
1981年生まれ。清水エスパルスや柏レイソルなどでプレーし、Jリーグで16年間にわたり活躍。
2018年に現役を引退後、単身アメリカへ渡り、ノースカロライナ州で語学を学ぶ。その後、セントラルフロリダ大学に入学し、大学サッカー部でコーチを務めながら修士課程を修了。現在はアメリカのコーチングライセンス取得を目指し、現地で指導活動を続けている。
目次
プロスポーツ界で生き抜くメンタル術
ーー現役時代、プロスポーツ選手としてシビアな環境でプレーする中で、どのようにメンタルを保っていましたか?
プロの世界は、簡単に首を切られる厳しい世界です。
特に、プロになって1年目や2年目の若い頃は、試合に出られるチャンスが来たら「これが最後かもしれない」と思って臨んでいました。
毎日の練習も同じです。朝起きて食事を整えることから始まり、練習や練習試合の一つ一つが大事なアピールの機会だと思っていました。
すべての場面を「次は無いかもしれない」と捉えることで、メンタルを引き締めていました。
「どうしよう」ではなく「こうしよう」
ーー常に前向きになることを意識していたのでしょうか?
失敗もミスもたくさんしました。でも、そのまま落ちていくのか、それとも原因を考えて克服していくのか。そこで大きな差が生まれます。
失敗したときには必ず理由を分析して、修正するために余分にトレーニングしたり、体のケアや食事に気を遣ったりしていました。
追い込まれた場面こそ落ち込んで終わるのではなく、「次はこうしよう」と一歩先の行動に切り替える。
そうやって少しずつ積み重ねることを繰り返して、気づいた時にはより上のレベルに到達できているのだと思います。

失敗から切り替える24時間ルール
ーー失敗したときは、気持ちをどう切り替えていましたか?
試合で負けたり上手くいかなかったときは、「24時間で切り替える」と決めていました。
その日のうちは反省したり原因を分析してもいいけれど、翌日になったら必ず気持ちを切り替えて次へ進む。そんな自分なりのルールを作っていました。
次の試合はすぐにやってきます。落ち込んでいても状況は変わらないので、前を向くことを常に意識していました。
16年のプロサッカー生活を振り返って思うこと
ーー2000~2015年の16年間とにわたる現役生活でしたが、ご自身にとってどのような時間でしたか?
16年間という期間はあっという間だったと感じます。
もちろん上手くいったときもあれば、上手くいかなかったときもありました。ですが、そういう経験を繰り返す中で、サッカーを仕事にするという面で成長できた部分もあったと思います。
全ての経験が、引退してからの自分にとって財産になったと感じています。
当時はやりきったという感じでした。ただ、今でもいろんな人と話すと「あのときこうしておけばよかった」という話題が出ることはあります。
人生にはいろんな選択肢があります。
後悔は全くないですが、最終的に選んだ道とは別の道を選んでいたらどうなっていたか?と考えることはあります。

引退を決めたキッカケと渡米
ーー引退を決めたタイミングやキッカケはありましたか?
33歳くらいのときに、身体的な能力が少し落ちてくる中で引退を考え始めました。
元々英語に興味があったので、引退後はアメリカで大学や大学院に行きながら、スポーツ学やコーチング学を学んでみたいと思っていました。
引退する2年くらい前からそう考えていて、準備をしつつ、引退したタイミングで渡米しました。
トライアウトから米国大学見学
ーー渡米を本格的に意識した出来事はありましたか?
34歳で契約を満了したときに、アメリカの大学を実際に見て回った事がきっかけでした。
当時、オンラインで誰でも応募できる「トライアウト」というのがあり、2部リーグと3部リーグのチームがあったので、そこに応募して参加しました。
その時に、たまたま自分が2ゴール1アシストできて、「これは選手を続けるチャンスがあるんじゃないか?」と思いました。
ただ、そのとき35歳だったので。やはり選手は若ければ若いほど需要はありますし、特に引退間際の日本人選手を取るというのは当時のアメリカでは無かったんです。
第一の目的は大学を見て回るということだったので、トライアウトが終わった後の4~5日間くらい色々な大学を回りました。

アメリカ大学での進学遍歴
ーー色々な大学を見学された中、どのような流れで最終的にセントラルフロリダ大学(UCF)に進学されたのですか?
大学に入る前にノースカロライナ州で1年間、語学学校に通っていました。 当時は英語での会話力に自信がなかったからです。
アメリカの語学学校は大学に入るための準備をするような場所で、例えばプレゼンテーションをしたりエッセイを書いたりと、大学のクラスを取っていく上でどうしたら良いかを学ぶところでした。
サッカースクールがきっかけでフロリダへ
そこに1年間通った後、 フロリダでのサッカースクールにコーチとして参加した時、たまたま知り合いができたんです。
フロリダに通いやすい大学があるという話を聞き、初めの年はバレンシア大学というコミュニティカレッジに行きました。
バレンシア大学と今のセントラルフロリダ大学が提携していたので、バレンシア大学を卒業した後はそのままセントラルフロリダ大学に3年次編入で入学しました。

コミュニティカレッジから4年制総合大学へ
ーー米国の編入制度について詳しく教えてください。
アメリカの大学だと、4年制総合大学に1年次から入学する手もあるのですが、その他にコミュニティカレッジと呼ばれる、日本でいう短大のような学校から進学を目指す方法もあります。
コミュニティカレッジを良い成績で卒業すると、提携している総合大学に3年生から編入できるのです。
いきなり総合大学に入るときに英語力や成績等が伴わないときは、そういったコミュニティカレッジを経て総合大へ進学する手段もあります。
アメリカ人も、特にスポーツをやっていると奨学金をもらって入れるシステムがあり、インターナショナル学生も含めてその手を選ぶ人は多いです。
学費も抑えられるのでオススメです。

学部や専攻は将来の夢とマッチングさせよう
ーー大学では何を学んでいましたか?
コミュニティカレッジではビジネス、UCFではスポーツ&アスレチックコーチングを専攻しました。
初めはビジネスに興味があったのですが、将来アメリカのプロチームでコーチをやりたいと考えた時、コーチに関係することを学ばないといけないことに気づき、途中で専攻を変更しました。
スポーツ&アスレチックコーチングは、サッカーだけでなく色々なスポーツのコーチングに特化した内容です。
大学院では「キネシオロジー」という、コーチングと仕事が関係した運動生理学を学びました。

海外では何の学位を持っているかが大事
ーー大学の専攻選びのコツはありますか?
アメリカでは、日本以上に何の学位を持っているかが重要です。
アメリカ人でもよくあるのですが、初めにどの専攻を取っていいかわからない、将来何の仕事をやりたいかも分からない。そんな状態で、とりあえず学んでみようと考えます。
しかし、途中で全然違う仕事をしたいとなったときに、また一から単位を取得しなければなりません。
私も途中で専攻を変えた結果、大学卒業が1年近く延びてしまいました。
もしこれから留学を考えている学生さんがいたら、大学で学ぶ専攻と自分が将来やりたい仕事の分野が一致させるように意識してください。
そうしないと、卒業後に希望の仕事が選べない可能性が出てきます。
18歳でアメリカ大学進学を考えている人はまだいいかもしれませんが、社会人で入学するなら、決め打ちしてやりたい仕事と関わる学部を選んだ方がいいと思います!
【文:安村綾夏 / 編集:若林千紘】
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