#1 カンボジアで学校40校設立!NPO法人HERO代表・橋本さんが語る、カンボジアの子供たちの未来と、社会貢献のカタチ

バックパッカー時代にカンボジアで出会った子供たちの言葉に衝撃を受け、卒業後わずか5ヶ月で会社を辞め、飲食店を経営。そして、カンボジアに学校を40校も設立!?

NPO法人HERO代表の橋本さんは、そんな型破りな経歴の持ち主です。彼の行動力と情熱は、どこから来るのでしょうか。

カンボジア支援を行っている、NPO法人HERO代表の橋本さんにお話を全3回でお届けします。

【橋本博司さん】

1978年生まれ。法政大学経済学部卒業。

大学卒業後、飲食店経営、世界一周旅行、大手企業での新卒採用責任者を経て、2011年にNPO法人HEROを設立。PO法人HERO代表。株式会社ペイフォワード代表。

「旅するように働く」を人生のテーマにカンボジアの教育問題に取り組む。大学生向けにカンボジアでインターンシップを開催。

NPO法人HERO代表・橋本さんの活動

 ーー自己紹介をお願いします。

NPO法人HEROの代表をしています。HEROの他にも、株式会社ペイフォワードという会社を運営しています。

去年までは地元八王子の飲食店をやっていたのですが、お店ごと全部店長に譲りました。今は、細々と人材コンサルやったり、これから何やろうかなと考えたりしている最中です。

NPOと学業の二足のわらじ

あと、実は僕、大学の博士課程後期、いわゆるドクターの2年生もしています。公共政策研究科というところで、カンボジアの子供たちの学力の要因分析を研究しています。

学問のジャンルでいうと開発経済学と、統計学です。今は統計的な手法でHEROの活動にエビデンスを出そうと研究しているところです。

NPOと学業の二足のわらじで活動しています。

HEROの軌跡

ーーNPOの活動を始めたきっかけを教えてください。

NPOの活動をやるようになったきっかけは、20歳のときの出来事です。リュックサック背負って海外で1人旅をする、バックパッカーをやっていました。

東南アジア地域を旅していて、カンボジアのアンコールワットを訪ねました。そしたら、英語も片言のような幼い子供たちが「勉強を教えてくれ!」と寄ってきたんです。

当時、カンボジアはちょうど内戦が終わった直後だったので、学校が壊されたり、先生が殺されてしまったりと、学校に通えない子供たちがたくさんいました。そこで、青空教室的に子供たちを集めて、簡単な算数や日本語を教えることにしました。

すると、子供たちが夢を語り始めたんです。「医者や学校の先生になりたい」と。

理由を聞くと、「戦争でいろんな人が怪我してるから医者になって治したい」とか、「先生が戦争でみんな殺されちゃったから、僕が学校の先生になりたいんだ」と、子供たちが目をキラキラさせて言ってきました。

40歳までにカンボジアに学校を作る

でも、夢を語る様子を見たそばから、夢の実現に必要な環境が全く整っていないことに気付きました。子供たちは学校に通ってないので、大人になっても、読み書きも計算もできないのです。

当時、夢や目標を持てずに生活していた大学生の僕にとって、カンボジアの子供たちの言葉は衝撃的でした。

帰りの飛行機の中で、「子供たちに学校がないんだったら僕が作ってやろう!」と思いました。そこで、手帳に「40歳までにカンボジアに学校を作る」と書いたことが全ての始まりです。

帰国後、行動力が爆発

大学時代の、この出来事をきっかけに、僕は急にやる気のある学生に変わりました。

現在までやってきたことを時系列に並べると以下の通りです。

  • 大学4年生(カンボジア帰国後):企業のホームページを作る学生団体を立ち上げる。友達3人で、半年間かけて7社程の受注を受けることに成功
  • 2001年(23歳):就職後5か月で会社を辞めて、飲食店を立ち上げる
  • 2004~2005年(26歳~27歳):結婚し、妻と2人でリュックを背負い、世界一周の新婚旅行へ
  • 帰国後(4年半):人事の採用と教育研修の仕事をやる
  • 2011年(33歳):飲食店営業をする傍ら現在のNPO法人HEROを立ち上げる。
  • 2023年(45歳):飲食店から手を引く。この間8年かけて3店舗まで広げる。

NPO法人HEROの理念と事業

ーーNPO法人HEROさんが大切にしていることは何ですか?

「可能性0%を1%へ」というのが、私たちのミッションです。

今、私たちは日本で暮らしています。日本に住んでいると分かりづらいけれど、世界から見たら、私たちはとても豊かなんです。

仮に、カンボジアの農村部に生まれたとします。場所によっては電気・水道・ガスがないし、学校もなければ、病院もありません。カンボジアの農村部の平均的な世帯月収は日本円で1万円ぐらい。非常に貧しく暮らしています。

チャンスは平等に与えられるべき

この経済的な格差を全て解消するのは、現実には難しいと考えています。その一方でチャンスは平等にあるべきです。

たまたまカンボジアの農村部の貧しいエリアに生まれたからといって、学校にも行けなければ、夢を描いても仕方ないのは不公平です。

なので、場所や状態に限らず、自分の可能性に挑戦できる、そんな社会を作っていきたいと思っています。それを「可能性0%を1%へ」という言葉で表しています。

具体的な事業内容

ーー「可能性0%を1%へ」を実現するために、HEROさんは何をされているんですか?

0→1にするのに一番大事なのが教育だと、我々は考えています。そのため、団体としては、カンボジア政府と連携した学校建設をメインの事業としています。

36カ所の公立小学校と、2ヶ所の公立中学校をカンボジアの田舎で運営していて、延べ1万人ぐらいの学生が通っています。

公立なので授業料も教科書代も無料。教員免許を持った先生が派遣されてきて、お給料はカンボジアの政府が払っています。

2024年中1ヶ所、2025年春にまた3ヶ所建設することがほぼ決まっているので、来年の3月末には42ヶ所の体制になる予定です。

カンボジアを支援する理由

ーー現在カンボジアを中心に事業展開をしているのはなぜですか? 

 僕に初めて夢を与えてくれたのがカンボジアを訪問したときだからです。

カンボジアで子供たちが夢を語ってくれなければNPO法人HEROが生まれなかったので、何があってもカンボジアでやろうというのだけは決めていました。

ただカンボジアに留まるつもりはありません。次はネパールなど、他の途上国にも進出したいと考えています。

カンボジアから与えられるもの

 カンボジアは経済的には貧しい国ですが、かわいそうな人たちがいるわけではなく、実際に行ってみると、とても豊かです。

カンボジアでは、あまりお金はないけれど、人同士助け合って、自然と共に生きています。あるもの全てを楽しんでいるからみんな笑顔だし、悲壮感はありません。

そういったところに感銘を受けると同時に、日本は経済的には豊かだけど、貧しいなと感じてしまいます。

経済的な貧しさは無視できるものではありませんが、少なくとも私は、カンボジアを支援しているという感覚はありません。

エネルギーややる気など、カンボジアに行く度に沢山のものをもらいます。それにお返しをしているという感覚です。

教育のためにクリニックも建設

学校は無料で通えますが、そもそも健康でないと学校に通うことはできません。

なので、9年前に現地に日本人の看護師とカンボジア人のお医者さんで構成されたクリニックを立ち上げました。そこでは、こども達の健康診断等を担っています。コロナ中はタブレットを用いて、オンライン診察もやっていました。

病気にかかりやすい途上国で、最も重要なのは「予防」なので、栄養バランスを改める支援もしています。

途上国で栄養バランスが悪くなる原因は、野菜を食べないからです。なので今年から小学校に畑を作って、子供たちに野菜の作り方を教える活動を始めました。収穫した野菜を家に持って帰ってもらって、野菜を食べる生活習慣を身に付けてもらうということもしています。

クリニックの運営方法

学校建設は企業から寄付金をもらって運営していますが、クリニックでは寄付金をもらっていません。ではどうしているのかというと、日本の保険会社13社と提携して運営しています。

カンボジアにはアンコールワットがあるので、コロナ禍を除けば、日本人観光客が毎年一定以上来ています。その中で、旅行中に体調不良になる方も、残念ながらいらっしゃいます。

そのため、私たちは、日本の保険会社と共に海外旅行保険を提供しています。その保険料が私たちの売り上げとなって、保険料の一部を使って子供たちに医療サービスを提供しているのです。

コロナ禍は赤字でしたが、基本的には寄付金をもらわずに、年間黒字で運営しています。

[ 文:東濱理沙 / 編集:吉中智哉]

[デザイン:舩越英資]

投稿者プロフィール

探究ゼミ編集部
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