#1 記念受験で慶應合格も無一文で帰国。夢も目標もない野村訓市の“人生で一番ダメだった”26歳

野村訓市(のむら・くんいち)

1973年生まれ、東京出身。ライター、インテリアデザイナー、俳優、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍するマルチクリエイター。

慶應義塾大学総合政策学部卒業後、世界各国を旅し、1999年には辻堂海岸で海の家「sputnik」をプロデュースする。

店舗設計事務所「TRIPSTER」主宰。映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)や『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)に出演。映画『犬ヶ島』では原案に関わるなど、国際的な作品にも活躍する。

記念受験で慶應SFC合格

ーー野村さんの高校・大学時代について教えてください

学習院の附属上がりで、 よくある全然駄目な生徒だった。高校時代はずっと遊んでて、何をすればいいか分からなかったのが正直な気持ち。

当時(90年代)は今よりも学歴社会で、とにかく全員大学行って、できれば一部上場の会社に入らないと将来やっていけない考えがまかり通ってた。人口もまだ増えてたから、大卒でちゃんとしたとこに働いてないと家さえ買えないとか。

起業家が全然いなくて今より格差が少なかった、一部上場の社長の年収は新卒の8倍だって言われてたから、より回りを気にしていたかもしれない。

一攫千金というと、例えばミュージシャンになるとかアーティストになる道はあったと思うけれど、でも地道に働くことが基本で、転職する人なんてほとんどいなかった。

俺は特にやりたいこともなく、「4年間の時間を買いたい」という一番駄目な理由で大学受験した。偏差値もすごく悪くて2ヶ月くらいしか勉強しなかった。

とにかく2ヶ月間勉強してSFC(慶應大学総合政策学部)を記念受験したんだよね。

2教科で受けられるところしか、俺はもう時間がないからできないと思ってたから、そこの記念受験だと思って受けたら受かっちゃった。笑

でも周りの子達と比べると志もなくて、ずっと遊んでたから、大学はつまらなかった。

旅先で出会った本当の友達

ーー大学時代はどのように過ごされていましたか?

旅行に行ったときに初めてちゃんとした友達に出会えた気がして。要はバックグラウンドがない状態で仲良くなるっていう。

俺はもうずっと東京にいて、学校外の人たちともたくさんつるんでたんだけど、すごく狭い世界にいたんだって実感した。

当時は海外旅行をするアジア人は珍しくて、白人が多かったし、きっと差別意識は今より強かったと思う。

それでも親切にしてくれる人たちがたくさんいて、旅行の良さに気付いた。「東京で同じように遊んでるよりこっちの方が全然いいな」というのがきっかけで、長く旅に出て、たまに帰ってきて金作ってまた行くことをずっと繰り返すようになった。 

俺の学生時代はバブルとその名残の時代だったから、 何となく全員が浮かれてるというか、メンタリティが違った。「どうせ入ってくるから全部使え」っていう雰囲気で。貯金する人なんて本当にいなかったし、金を使って遊ぶみたいな風潮だった。

そんな中、バックパッカーをやって、安いお金でいかに楽しく過ごすかみたいなことをしてた。当時はバンコク往復4万円くらいの安いチケットがあって、現地に行っちゃえば、1日何百円〜1000円で暮らしていけるから、東京にいるより遥かに好きなことができた。

旅も慣れれば飽きてくる

そのあとはロンドンに行ってフェスやったり、フリーパーティーして過ごしてたね。

でも別に俺はDJになりたいわけでもなければ、元々フリーパーティーが好きでお金が絡んだオーガナイザーになりたいわけでもない。かといってカメラマンになって写真を撮ることには向いてないし、何をやればいいか分からなかった。

旅もだんだん慣れてくると、 フレッシュじゃなくって楽しくなくなってくる。 何となくどうすれば良いかが分かるようになってきて、最初の新鮮な気持ちや旅への憧れは減っていった。

26歳で帰国するも人生はどん底

本当に無一文の状態で帰ってきたのが、26歳ぐらいだった。大学を卒業して就職した子たちがもう新人じゃなくなって、会社でいろいろなスキルを身に付けて、次のステップに進もうと考え始める時期で。

転職とかを考える最初の年代だったから「お金が貯まったから院に戻って、起業しようかな」とか。 大学時代の友達はみんなそういうことを話していて、自分は何もないから「しくったな」って思ってた。 

職が無い状態で、時間だけが過ぎていく毎日だった。「訓ちゃんはいろいろなところに行っていて、英語喋れるからいいじゃん」と言われるのもすごく苦痛で。ビジネス英語が話せるわけではなかったし、通訳になりたいという気持ちも無かったから。「英語を話せて何が出来る?」と思っていた。

友達の家に居候して、色々なアルバイトをして日当をもらうっていう暮らしだった。何もきっかけがなく、自分がこれから何をしたいのかも分からず、人生で一番つらい時期だった。

他の人よりスタートが遅れているから「失敗したくない」という気持ちは人一倍強かったし、一生やりたいと思える職に出会えずうだうだしていた。

高校の同級生で今も一緒に内装やってるみんなは、世界中バラバラに旅行して帰ってきて、次何したらいいんだろう?ってみんな悩んでたね。

【文:川上友香梨 / 編集:東濱理沙】

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